台湾の奇美実業グループ創業者の許文龍氏が11月18日にお亡くなりになりました。(享年95歳)
当クラブと長年交流があり、九大マンドリンクラブ同窓会として故人を悼み12月3日(土)に追悼演奏を東京都墨田区BigShipにて行いました。

【藤井会長の追悼の言葉】

許文龍さんがお亡くなりになったということで一言お話をさせていただきます。
許文龍さんは奇美実業(英文社名:CHIMEI)という会社を創立されて一代で世界的なトップ企業に育て上げられた方です。
大変な実力を持った起業家といいますか事業家です。
その傍ら音楽が好きでバイオリンを昔からやっておられまして、途中からマンドリンも弾き始めて、台湾に音楽を根差したいということで、バイオリンよりマンドリンの方が弾きやすいということからマンドリンを普及させようと考え、自分の会社に奇美楽団というマンドリンクラブを作られました。
それから多くの学校に楽器を寄付されて、またそれ以外にいろいろな活動をされてマンドリンの普及を推進された方でした。
そういう方に九大マンドリンクラブの私の1年先輩の落合さんが台湾で会う機会があり、それがきっかけとなって、文龍さんとの交流が始まりました。
文龍さんの家で一週間に何回か音楽会を開いていて、誰かが勝手に好きな曲を弾き出したら皆がそれに合わせて弾くということをやって楽しまれていました。
私たちもそれに参加させていただいて、だんだんその輪が広がって卒業生の皆さんもかなりの人が参加しそのうち学生まで参加させていただいた次第です。
文龍さんの人柄は社会的地位もお金もある方なのですが、私たちに権威を振りかざすことなくフランクに接していただき、また普段の生活は派手でなくむしろ質素な生活をなさっていました。
自分のためには何にもお金を使わない、どこに行くのにも服装は白いカッターシャツだけなんです。
魚釣りに来いと言われて行ったのですが、その時も白いカッターシャツでもうびっくりしましたが、そういう質素な生活をされていて、とにかくお金というのは皆が喜ぶために使うものだといろいろな寄付をされたり、慈善事業をされたりしていました。
また、非常にきれいな日本語を話されまして、私なんかが恥ずかしいくらいの立派な日本語、もちろん丁寧語や敬語もきちっとを話されまして驚くような方でした。
本当に穏やかな方でこれほどの地位がある人はたいてい偉そうに振る舞うものですが全くそういうことがなく「藤井さん良くいらしゃいました」と言うようなそんな感じで接していただいた方で、長く生きていていらしたらきっと世の中を良くしていかれると確信するような方でした。
そういう方がお亡くなりになり本当に残念です。心からお悔やみ申し上げます。

生前の故人を偲び1分間の黙祷を捧げました。